


後藤純男美術館【限定】オリジナルお土産品
高級お干菓子 和三盆(さぬき和三宝糖)
「さぬき和三宝糖」には独特の風味があり、スーッととろける口溶けの良さ、淡白さなど、他の砂糖にはない特質を持っております。
最近では様々な食品業界において、希少価値のある砂糖として知られるようになりました。
「さぬき和三宝糖」の歴史について
日本での砂糖作りは、江戸時代の八代将軍徳川吉宗が糖業を奨励したことにより全国に広まりました。
宝暦年間に高松五代藩主松平頼恭(よりたか)公の命により、医者”池田玄丈”が砂糖作りの研究を始め、
弟子の医者”向山周慶”が後を継ぎ、砂糖キビの栽培及び製糖法の研究を進めておりました。
しかし、なかなか成果が上がらず苦労していました。
ある日、四国遍路の途中病にかかり行き倒れになっている人を見つけ家に連れて帰り、”向山周慶”が治療をして助けました。
この人は薩摩の奄美大島の人で、”関良介”と云い、砂糖作りをしたことがあるというので、
”向山周慶”は是非砂糖作りを手伝って欲しいと頼みました。
そして、助けられた恩に報いるために、”関良介”は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育て、
まず黒糖を作ることに成功しました。その後、いろいろ研究を重ねてついに酒絞りの方法を応用した「押舟切櫂法」を発明して分蜜が
簡単に出来るようになり、寛政2年(1790年)讃岐の地で初めて白砂糖作りに成功しました。
この白砂糖がさぬき和三盆の始まりです。